今回は非常に真面目な話。お暇な方はお付き合いください。

 

コロナ渦の昨今、8月1日現在、沖縄県は県独自の非常事態宣言が出された。

毎日のように感染者が増加しているが、正直予想通りだと思っている。

ワクチンが開発されない限り、増減するのは当たり前で不必要に怯えることはない。

 

感染者の数字だけ見れば、コロナ渦の第一波に比べれば増えているが、それに伴いPCR検査数も増加しているし当然の結果である。
観光客など外部からの移動でウィルスが広がるのは当然だ。

問題は重症患者数がどれだけ増えるのかなど、直接死因に関わることが重要だ。

ただ侮ってはいけないのが、軽症者の分母が増えれば、それだけ高齢者や持病を抱える人の感染致死率が上がってしまう。

中には集団免疫を得るためにウィルスに感染して抗体を持つべきだと考える人もいるけれど、理屈では間違ってはいない。だけど、高齢の親や疾患を抱える家族と一緒に暮らしていたら、そのように考えられるのだろうか?

 

私には持病持ちの父がおり、感染したら間違いなく死んでしまうと思っている。

幸い自分はアーティスト活動以外にもテレワーク可能な仕事をしており、不必要に外出する必要がないため、自分が気を付けていれば親を殺すことはない。

ただ、外出しなければ売り上げを上げられない職種の方は死活問題で、極端な思考に陥ってしまうのも無理もないし、自分も独り身ならウィルスに感染して免疫を作りたいと考えるかもしれない。答えは単純に出ない。本当に難しい問題だ。

 

前置きが長くなったが、本題。

つい先日、基地内でクラスターが発生し、多くのアメリカ人の感染者を出した。

ただでさえ、基地問題でピリピリしている中での、完全なアメリカ側の失態。(外国の旅行から帰ったアメリカ人を検疫なしで通過)
完全な油断である。

だが、わたしはそれで沖縄に住むアメリカ人のすべてが悪いとは思っていない。

しかし、知人から直接聞いたのだが、スーパーに買い物に来たアメリカ人を見たら、体が反射的に恐怖を感じ、つい身構えてしまったと言っていた。

現実はこうである。目にすること耳にすること、報道の在り方、SNSの拡散、負の感情の連鎖。

最も怖いのはウィルスの感染より、差別や増悪といった人間の恐ろしさである。

 

先日早朝、近所を、日課であるウォーキングをしていた時、歩道とは少し離れたアメリカ人が住む、数件並んだシェアハウスの前を通った。

メイン歩道とは別のシェアハウス前の短い道を往復ランニングしていた。本来ならそのアメリカ人も普通に歩道をランニングしているはずである。

その光景を見た自分は、アメリカ人も沖縄県民に不安になってほしくないとの配慮から、感染していなくても、なるべく県民と接触しないように努めているだと感じた。

 

一部の人間が身勝手で周囲に配慮のかけた行動をすることで、全体が悪いようにとらえてしまう。

それが、不必要な不安や恐怖、差別や増悪を感染させていくのだと深く深く感じた。

 

長くなってしまったが、ウィルスと戦う前に人間として、理性をもって、増悪などの負の感情と戦わなければならない。

僕はアーティストとしての表現者である前に、皆と変わらぬたった一人の人間なのだから。

 

【Social Links】

カテゴリー

アーカイブ